JR東海道線 JR大阪駅(おおさかえき)歴史紹介
JR大阪駅(おおさかえき)は、大阪府大阪市北区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
西日本で最多の乗降客数を誇る駅で、全国でも新宿駅、渋谷駅、池袋駅、に次いで4番目に多く、(多くの駅の乗降者数ランキングでは横浜駅が4位となっているが、これは梅田駅などの大阪駅を構成する駅に分けた場合のランキングである)世界的にも有数の利用者数を誇る。
駅長が配置された直営駅で、管理駅として塚本駅を管轄している。
JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅であり、運賃計算の中心駅となる。
また、アーバンネットワーク(京阪神地区)の運行の要衝となる駅で、運行系統の軸をなしている。第1回近畿の駅百選にも選定された。
大阪駅の年号
1874年(明治7年)
・5月11日:国有鉄道(官設鉄道)の駅として当駅 – 神戸駅間の鉄道開通と同時に開業。旅客扱いのみ
・12月1日:貨物の取り扱いを開始
1876年(明治9年)7月26日:向日町駅 – 大阪駅間が開業し、途中駅となる
1889年(明治22年)7月1日:新橋駅 – 神戸駅間の全通により、新橋駅までの直通運転が行われるようになる
1895年(明治28年)10月17日:大阪鉄道の玉造駅 – 梅田駅間が延伸開業。その終着駅として同線の梅田駅が開業
1898年(明治31年)4月5日:西成鉄道が大阪駅 – 安治川口駅間を開業させ当駅に乗り入れ
1900年(明治33年)6月6日:関西鉄道による大阪鉄道線承継に合わせ、旧大阪鉄道の梅田駅が当駅に統合。当駅は国有鉄道・関西鉄道・西成鉄道の駅になる
1902年(明治35年)7月1日:ゴシック風石造りの二代目駅舎が完成。最初の駅舎の位置から東の、現在地に移転
1906年(明治39年)12月1日:西成鉄道が国有化され、当駅は国有鉄道と関西鉄道の駅になる
1907年(明治40年)
・5月31日:18時ごろ、西第一踏切(昭和初期に廃止)で踏切番をしていた駅員の清水太右衛門が踏切内に入った幼女を救ったが、太右衛門は列車に接触し殉職する事故が起こった。太右衛門の功績をたたえるため、同年10月に碑が立てられた(1945年の大阪大空襲により碑は破壊され、1956年に再建。2011年1月にノースゲートビルディングと立体駐車場をつなぐ通路に碑を移設した
・10月1日:関西鉄道が国有化、大阪駅は国有鉄道の単独駅になる
1908年(明治41年)8月1日:大阪市電気局の大阪市電梅田(大阪駅前)停留場が開業
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、東京駅 – 神戸駅間は東海道本線、旧大阪鉄道線は城東線、旧西成鉄道の区間は西成線になる
1928年(昭和3年)12月1日:貨物の取り扱い業務を新設された梅田駅に移管
1934年(昭和9年)
・6月1日:高架線第3~5ホームが完成し東海道線、城東線を高架化する
・7月20日:大阪駅を含む吹田駅 – 須磨駅間で電車運転を開始
・12月1日:高架線第2ホームが完成
1935年(昭和10年):二代目駅舎が解体され、仮駅舎建設
1935年(昭和10年)7月15日:高架線第2ホームを西成線に切り替え
1936年(昭和11年)2月10日:隣接する地下鉄梅田駅の建設現場で陥没事故が発生。大阪駅にも影響が及び駅長室などが入った東口駅舎(仮駅舎)が傾いたため、翌日引き倒し作業が行われた
1940年(昭和15年)6月1日:三代目駅舎が2階まで完成し使用を開始。3階から上は鉄骨だけの非常時型とされた[23]。当初の予定では5階建てのインターナショナルスタイルの四角いビルであり、中央に5階分の高さの吹き抜けを設け、上層階は1940年東京オリンピックに合わせて鉄道ホテルとして使用される予定であった
1943年(昭和18年):三代目駅舎が完成(3階建てコンクリート造り)。中央の吹き抜け部分を除き、4・5階部分の鉄骨は切断し軍に供出
1945年(昭和20年)6月1日・6月7日:大阪大空襲により機銃掃射、焼夷弾、爆弾の直撃被害を受け、当分営業を休止する。仮復旧時は上り電車は東構内、下り電車は西構内で折り返し運転を行い、旅客は高架軌道を歩き急造の梯子で列車に乗車した
1946年(昭和21年)3月18日:0番のりばが使用開始
1946年(昭和21年)10月1日:0番のりばを城東線乗車専用に変更
1953年(昭和28年)9月1日:大阪市営トロリーバスの大阪駅前 – 神崎橋間が開業
1957年(昭和32年)3月21日:自動券売機が設置される
1960年(昭和35年)2月1日:座席予約端末装置(マルス1)の使用を開始
1961年(昭和36年)4月25日:城東線全線と西成線の西九条駅 – 当駅間が大阪環状線として開業
1962年(昭和37年)10月1日:11番のりばが使用を開始
1966年(昭和41年)7月1日:大阪市電の大阪駅前停留場が廃止(大阪市電の全廃は1969年〈昭和44年〉)
1969年(昭和44年)10月1日:大阪市営トロリーバスが大阪駅前より撤退(大阪駅前 – 神崎橋、大阪駅前 – 森小路一丁目間廃止)
1970年(昭和45年)3月12日:大阪環状線ホーム(環状1番・環状2番のりば)が供用開始
1979年(昭和54年)12月18日:四代目駅舎の北駅ビル完成
1982年(昭和57年)3月1日:大阪環状線ホームが環状1番・環状2番のりばから、環状内回り・環状外回りのりばに変更
1983年(昭和58年)
・2月15日:自動放送装置の使用を開始
・4月27日:大阪ターミナルビル「アクティ大阪」が開業
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、東海道本線の当駅 – 京都駅間で「JR京都線」、東海道本線の当駅 – 神戸駅間および山陽本線の神戸駅 – 姫路駅間で「JR神戸線」、東海道本線の当駅 – 尼崎駅間および福知山線の尼崎駅 – 篠山口駅間で「JR宝塚線」の愛称を使用開始
1991年(平成3年)4月23日:待ち合わせスポット「旅立ちの鐘」が除幕。
東口を「御堂筋口」、北口を「御堂筋北口」、西口を「桜橋口」と命名。
駅ナカ施設「ギャレ大阪」が開業
1995年(平成7年)
・1月17日:午前5時46分に阪神・淡路大震災が発生し、駅名を表示する看板が外れたりするなどの被害を受けた。また関西の在来線は各路線で運休となった
・1月18日:JR神戸線の当駅 – 尼崎駅間で営業運転を再開。
・4月1日:復旧工事がすべて完成。
1997年(平成9年)
・3月8日:JR東西線に北新地駅が開業し、連絡駅となる。接近メロディ導入。
・10月4日:南口に自動改札機が導入され、供用開始
・10月18日:中央口に自動改札機が導入され、供用開始
・11月15日:西口に自動改札機が導入され、供用開始
・12月6日:東口に自動改札機が導入され、供用開始
2002年(平成14年)7月29日:JR京都線・JR神戸線にJR京都・神戸線運行管理システム導入
2003年(平成15年)
・4月23日:中央コンコースの南側に設置された「砂時計」が除幕。8月に「サンドファンタジー」と命名
・11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となることに伴い、当駅でも供用を開始する
2004年(平成16年)
・5月16日:改良工事が本格的に開始される。旧1・2番のりばが使用停止
・12月8日:中央コンコースに商業施設「セントラルコート」(CENTRAL COURT)が開業
2005年(平成17年)
・2月27日:環状内回り・環状外回りのりばが1・2番のりばに変更。
旧1・2番のりばの改良工事が完成し、新3・4番のりばとして供用開始。旧3・4番のりばは使用停止
・3月1日:仮駅舎東棟「フロートコート」が開業
・4月8日:仮駅舎西棟「トラベルコート」が開業
・10月16日:旧3・4番のりばの改良工事が完成し、新5・6番のりばとして供用開始。旧5・6番のりばは使用停止
・11月16日:列車非常停止警報装置の使用を開始
2006年(平成18年)7月30日:旧5・6番のりばの改良工事が完成し、新7・8番のりばとして供用開始。旧7・8番のりばは使用停止
2007年(平成19年)
・3月18日:ダイヤ改正に合わせてJR京都線・JR神戸線で駅自動放送を更新
・4月1日:高架下コンコースの改装工事がすべて完成
・4月8日:旧7・8番のりばの改良工事が完成し、新9・10番のりばとして供用開始。旧9・10番のりばは使用停止。旧11番のりばの撤去工事が開始される
2009年(平成21年)
・10月4日:大阪環状線に大阪環状・大和路線運行管理システム導入
・12月20日:旧9・10番のりばの改良工事が完成し、新11番のりばとして供用開始。旧11番のりばの撤去工事が完成し、駐車場連絡通路・タクシーのりばに転用
2010年(平成22年)
・8月18日:異常時情報提供ディスプレイの使用を開始
・10月12日:7・8番のりばの拡幅工事が完成
・11月1日:橋上駅舎の一部が乗り換え専用通路として供用開始する
2011年(平成23年)
・3月31日:「ギャレ大阪」が閉館
・4月11日:橋上駅舎が全面的に供用開始。連絡橋口開設
・5月4日:五代目駅舎と大阪ステーションシティが開業
・5月24日:大阪市営バスのバスターミナルが北口に集約される
・6月1日:西日本JRバスのバスターミナルが北口に集約される
・6月16日:ギャレ大阪西館跡地に「ALBi」が開業
・10月12日:改札口の電光掲示板をフルカラーのものに交換
・12月28日:JR京都線・JR神戸線ホームにガラス製の屋根が設置される
2012年(平成24年)
・3月16日:寝台特急日本海が当日の発車分と翌日3月17日の到着分をもって定期運用から引退し、当駅を起点、終点とするブルートレインが全て消滅
・6月30日:「フロートコート」が閉鎖
・10月31日:「エキマルシェ大阪」が開業。エキマルシェ大阪口開設。「トラベルコート」が閉鎖
2013年(平成25年)
・4月26日:グランフロント大阪が駅北側の再開発エリア「うめきた」地区に開業。大阪ステーションシティと新たに建設したペデストリアンデッキで直結
・5月2日:自動改札機を新型のものに更新
2014年(平成26年)5月1日:大阪環状線改造プロジェクトの一環で、やしきたかじんの代表曲「やっぱ好きやねん」を大阪環状線ホームの発車メロディとして導入
2015年(平成27年)
・2月16日:タクシー乗り場を御堂筋口側から桜橋口側に移設
・3月12日:寝台特急トワイライトエクスプレスがこの日の発車分と当日の到着分をもって引退。
これにより、当駅を起点、終点とする一般営業の寝台特急列車はすべて消滅。
また、入線警告音の見直しに伴い、接近メロディを音質見直し版のものに変更する
・4月2日:「ルクア1100(ルクア イーレ)」が開業
・12月4日:台湾鉄路管理局の台北駅と姉妹駅となる
2016年(平成28年)3月26日:ダイヤ改正に伴い、特急「しなの」の当駅までの乗り入れが廃止される。また、当駅を発車するJR京都線・JR神戸線の新快速、快速と普通の運転間隔が均等化される
2017年(平成29年)
・3月24日:駅構内に観光の総合相談窓口「Travel Service Center OSAKA」がオープン
・4月22日:6番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始
・5月27日:7番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始
・6月17日:周遊型臨時寝台列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の停車駅となる
2018年(平成30年)3月17日 – 駅ナンバリングが導入される
2019年(平成31年・令和元年)
・2月16日:5番のりばに昇降式ホーム柵が設置され、使用を開始
・3月9日:8番のりばに昇降式ホーム柵が設置され、使用を開始
・7月:1番のりばの足元乗車位置案内をリニューアル
・12月5日:1番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始
2020年(令和2年)3月10日:2番のりばに可動式ホーム柵が設置され、使用を開始
2023年(令和5年)3月18日:地下ホーム(21番 – 24番のりば)が梅田貨物線上に開業。特急「はるか」「くろしお」の停車駅に加わったほか、おおさか東線の終端駅となる。うめきた地下口・西口および地下ホームと高架ホームを結ぶ連絡通路が供用開始。
うめきたエリアに日本では初となるみどりの券売機プラス+AIを導入
2023年(令和5年)10月:特急まほろばの停車駅となる(翌年3月まで)
2024年(令和6年)3月16日:ダイヤ改正に伴い、新設される特急ラクらくやまと当駅発着となる
2031年(令和13年):地下ホームに大阪市内を南北に縦断するなにわ筋線が乗り入れ、南海電鉄(南海)も同線を経由して乗り入れる予定
2025年(令和7年)3月15日:ダイヤ改正により、通勤特急「らくラクやまと」が定期運用となる